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秋田・青森 2
バスケで有名な能代工業高校があるため
能代は「バスケットボールの町」と言われています。

駅のホームにはミニバスケットゴールがあって
フリースローができます。

駅員さんがボールを渡してくれて
母が挑戦!


もちろん入るわけがなく。


今度は私が挑戦!

『シューーーー(ト)』


この駅員さんの顔からも分かる通り


もちろん入るわけがなく。


投げた瞬間別のところに飛んでったボールが、今でも脳裏に焼き付いています。
私はバスケが苦手です。そんなこと昔から分かってたじゃない。


この後、母は再び挑戦するも

もちろん入るわけがなく。




小さな駅、能代駅。
私が住んでいたころは、恐らく駅を利用したことはないと思う。
いつも車だったし。

こんな駅だったんだなあ。




土砂降りの中、まずは商店街へ。
商店街の入り口に楽器屋さんがありました。
何気なく通り過ぎようとしたら、母が
ここは私が通っていたピアノ教室だよ
と教えてくれました。

そういえばこんなだったような!

私は能代に住んでいた3年間ピアノを習っていたのです
が、まったくセンスがなかったのでした。

まず楽譜が読めない。
ドから数える日々。 
(ド・レ・ミ・ファ)ソ (ド・レ)ミ (ド・レ・ミ)ファ… 無理です。


そんな私もピアノの発表会に出てしまったことがあります。
写真が残っていました。

この時は「子ギツネコンコン」をひいた気がします。
先生もつきっきりです。


そして最後には深々と
「(こんな演奏発表して)すみませんでしたー!」

ピアノはトラウマとなりました。


そんなピアノ教室とのご対面。
トラウマが甦りました。



ピアノ教室を後にして、数分後、母が
「あ、やっぱさっきの所違うかも。もっとこっちの方だった気がする」
と言い出しました。
そういえばそんな気も…

違うピアノ教室見て、写真まで撮って、トラウマまで甦らせちゃった。
色々返してっ





昔通っていた幼稚園にも行きました。


アルバムの中の幼稚園。


そして25年後

変質者臭漂っていますが…

幼稚園、あのころと外観は変わっていなかった。
大きかったドアが実はすごく小さくてびっくりしました。





幼稚園を後にしていよいよ住んでいた家を目指します。

その途中、大通りを歩いていたら、懐かしいものが…!!


いとく〜〜〜〜!!
昔はひらがな表記だったのに、かっこよくITOKUになっている〜
いとくはスーパーです。

いとくよりも何よりも、
その向いのユニークな形の建物こそ
憧れの地「ハローマック」の跡地!

ハローマックはおもちゃ屋さんです。

今は違うお店だけど、この形(お城をイメージしていたらしい)はハローマックそのもの。
あの台形のところに大きなライオンくんの絵が書かれてあったなあ〜

しかしハローマックについて色々調べてみると
いまやハローマックは閉店し日本から姿を消してしまったとか…
そして悲しすぎるtwitterが。。。


せつない。



せつない口調で斬る。





さらに進んでいくと、母が昔通っていたという美容室がありました。

しかもこの時もらったノベルティのメモ帳が今でも家にあるそうです。
物持ちよすぎ。



ひたすら歩いていると
公園にやってきました!

この公園には思い出がたくさんあります。

雪の日はソリで遊びました。
蜂に刺されて絶叫しながら走り回りました。
犯罪も犯しました。(かわいいやつね)


あ〜懐かしい。
懐かし過ぎて斜めっちゃう。 母、写真ヘタ!



懐かしの動物の遊具もありました。


25年前 



現在

い、いたいたしい…

たぶんあれから塗り直してないな…



当時怖くてしかたなかった豚もいました。
顔がやたらリアルで。


よーしよし



ぶひー




いたいたしい動物達がちょっぴり悲しかったけど
あのころのまま、一緒に歳をとった感じがして
なんだか感慨深いものがありました。

25年そのままだとこんなに痛むんですね。
まるで自分の細胞の老化を見た気がしました。
これからはもっと念入りにお肌ケアしようっと。



そしてそして念願の前に住んでいた家に到着!

色や看板などは変わっていましたが、建物の形はそのまま!
ああ、懐かしい。


うっすらだけど、様々な思い出があります。

こんなに小さいアパートだから、取り壊されて大きなマンションになっててもおかしくないのに
そのまま残っていたことが奇跡のように嬉しい。
残っててくれてありがとう。




それから、通学路を辿って
小学校へと向かいました。


断片的にしか覚えていなかった通学路。
でもその記憶はちゃんと合っていました。

懐かしいお友達の家も、表札を見て思い出したりして
楽しい道のりでした。


小学校は今は別の小学校と統合したらしく
名前が変わっていたけれど、校舎の前の松はあのころのまま。




25年前
この小学校に通っていたのは1年もなかったのですが
小学校の記憶としてあるのは
算数のテストが分からなすぎて、提出するのがイヤで、家に答案用紙を持って帰っちゃったことと
帰りのホームルームでおもらししちゃって、隣の席の男子が
「あれーなんだこの水!」と言ったことと(照)
私が忘れ物した時に、ある男子が私が忘れ物をしたのは
「きっとテレビの観すぎだ。きっと“なるほど!ザ・ワールド”を観ていたんだ!」と勝手に分析され
“なるほど!ザ・ワールド”てなに?』て思ったこと…

なんか、しょーもないことばかりだなあ。




学校から駅までは目と鼻の先でした。
あのころはすぐ近くに駅があるなんて知らなかった気がする。

通学路の中が私の行動範囲の全てだった。

今思うとそれはすごく狭いんだけど
あのころは広くて遠くて大きかった。



電車の時間もあり、滞在時間は2時間ほど。

土砂降りの中を、急ぎ足で巡った「思い出を辿る旅」

すーーごく楽しかったです。



また30年後くらいに訪れたいなあ。

公園の動物がどうなっているのか、すごく気になる…






夕暮れの日本海はより事件の匂いがした。





つづく














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